●ウコンセット
2007.01.24 Wednesday
一年前に再会した父の友人が「ウコン」を自宅で栽培して飲んでいると聞き、次に収穫したら分けてください・・・などと話していました。それから1年、ウコンセットが届いたのです。
写真で分かりますか?春ウコン(右)と秋ウコン(左)がもみがらの中から現れ、すでに擂ってあるウコンと、根からはずすときの「ハサミ」、土を落とす「タワシ」と保存するようの発泡スチロールと、ウコンをいじる時に部屋が汚れないように・・・とビニールシート付きです!すごく感動してしまいました。父の飲みっぷりを知るだけに、ものすごく心配してくれていたのかもしれません。
擂ってあるウコンと蜂蜜を少々お湯に溶いて飲んでいらっしゃるとのことだったので、私も真似して、とりあえず家にあった洗双糖(ミネラルが豊富らしい)と一緒にお湯で溶いて飲み始めました。肝臓が元気だときっと体中元気で、喉も快調に違いありませんっ!!
写真で分かりますか?春ウコン(右)と秋ウコン(左)がもみがらの中から現れ、すでに擂ってあるウコンと、根からはずすときの「ハサミ」、土を落とす「タワシ」と保存するようの発泡スチロールと、ウコンをいじる時に部屋が汚れないように・・・とビニールシート付きです!すごく感動してしまいました。父の飲みっぷりを知るだけに、ものすごく心配してくれていたのかもしれません。
擂ってあるウコンと蜂蜜を少々お湯に溶いて飲んでいらっしゃるとのことだったので、私も真似して、とりあえず家にあった洗双糖(ミネラルが豊富らしい)と一緒にお湯で溶いて飲み始めました。肝臓が元気だときっと体中元気で、喉も快調に違いありませんっ!!
●”NEDDA CASEI”
2007.01.22 Monday
「ネッダ・カセイ」・・・私の心の恩人のような偉大な先生のお名前です。
先生は10年前にニューヨークから来日され、母校の大学院の客員教授となられました。確か私が院を卒業した年から数年アメリカに戻られましたが、再赴任され4年たち、今年3月にまた帰国されます。それで、きっと沢山パーティーが行われていると思いますが、昨日は、10年前の最初の生徒達をあつめたパーティーでした。昨日のようなものは「REUNION PARTY」というらしいのですが。
院修了以来会っていない面々との再会、感激で胸がいっぱいになりました。たった2年の院時代ですが、それぞれの夢や希望の中で志をもってすごした仲間は、私の悪い面も嫌なところもほとんど知っているから、いまさら気を使うこともなく、べらべらと喋り続けてきました
そして何よりも先生との再会。一年半ぶりくらいかな。でも、いよいよ日本にいらっしゃらなくなると思うと寂しすぎます。
NEDDA先生は、歌うことや学ぶことを続けていくことの難しさや厳しさや苦しさばかり感じていた私に、楽しさとか快さをたっぷりプラスして教えて下さった先生です。たぶん、あの頃、気持ちも頭も体も性格もかっちかちに硬くなっていた私を溶かし始めて下さった方と思うのです。イタリアに行きたいと言った私にミラノの先生を紹介して下さり、その後もいつも私の演奏活動を喜んでくださいました。レッスンの内容も、先生のキャリアから様々な事例をいくつも挙げてくださり、その時点で出来る範囲のことを必死にやってみた時間でした。
昨日一番嬉しかったことは、先生のメトロポリタンでの30年の歌手生活と、その後の指導する生活で、生徒を教え、その生徒が歌うことがとても楽しく有意義だったとおっしゃったことでした。
このあと、先生の人生の様々なご経験が文章となって世に出たら、私はそれをゆっくり訳してもっと先生のことを知りたいと、その日を楽しみにしています。
先生は10年前にニューヨークから来日され、母校の大学院の客員教授となられました。確か私が院を卒業した年から数年アメリカに戻られましたが、再赴任され4年たち、今年3月にまた帰国されます。それで、きっと沢山パーティーが行われていると思いますが、昨日は、10年前の最初の生徒達をあつめたパーティーでした。昨日のようなものは「REUNION PARTY」というらしいのですが。
院修了以来会っていない面々との再会、感激で胸がいっぱいになりました。たった2年の院時代ですが、それぞれの夢や希望の中で志をもってすごした仲間は、私の悪い面も嫌なところもほとんど知っているから、いまさら気を使うこともなく、べらべらと喋り続けてきました
そして何よりも先生との再会。一年半ぶりくらいかな。でも、いよいよ日本にいらっしゃらなくなると思うと寂しすぎます。
NEDDA先生は、歌うことや学ぶことを続けていくことの難しさや厳しさや苦しさばかり感じていた私に、楽しさとか快さをたっぷりプラスして教えて下さった先生です。たぶん、あの頃、気持ちも頭も体も性格もかっちかちに硬くなっていた私を溶かし始めて下さった方と思うのです。イタリアに行きたいと言った私にミラノの先生を紹介して下さり、その後もいつも私の演奏活動を喜んでくださいました。レッスンの内容も、先生のキャリアから様々な事例をいくつも挙げてくださり、その時点で出来る範囲のことを必死にやってみた時間でした。
昨日一番嬉しかったことは、先生のメトロポリタンでの30年の歌手生活と、その後の指導する生活で、生徒を教え、その生徒が歌うことがとても楽しく有意義だったとおっしゃったことでした。
このあと、先生の人生の様々なご経験が文章となって世に出たら、私はそれをゆっくり訳してもっと先生のことを知りたいと、その日を楽しみにしています。